どの人も違う目をして八重桜 2009/5/1
2009年 05月 01日
ここのところ、子どもの成長のことや子どもと教育、教育と時代性、などを仲間とよく話します。
「今の子どもは」、とか「今の若い者は」、とかの言い方はしないことにして、どこに問題があるのだろうかという議論をするようにしてます。
ヒトが、取り巻く社会によって人格形成されることはよく知られていることだと思います。
もしも子どもの周りに誰もいなかったら・・・ヒトとしては育っていかないことも知られていると思います。
では、今現在子ども達が抱える問題は社会によって形成されていると言ってもいいのですよね。
ならば、解決方法があるはずです。
社会がヒトを作り,そのヒトが社会を作っているんですもんね。
その昔に子どもだった私も、今現在子どもであるキミも、同じように社会から作られ同時に社会を形成しているんですよね。
ならば、解決方法があるはずです。
一つは、問題にきちんと向き合うこと。
言い換えれば、また、過激な表現であることを承知で敢えて言えば、良いけんかの仕方を小さい時から覚えることだと思います。
自分以外はみんな他者なんですから、完全に分かり合うことは幻想に過ぎません。
しかし、分かり合おうとする努力は生きるために必要でしょう。
そこに生れる問題が喧嘩のネタです。
大小の違いはあれ、世に喧嘩の種は尽きまじ、です。
それを避けて通れる方法は無いと思います。
良い喧嘩の仕方を覚えることは良く生きることに通じると思います。
新学習指導要綱を読みました。
幻想が描かれているような気がしてなりません。
世の中は「矛盾と違い」に包まれていることなどなく、きれいごとだけで一生を過ごせるような錯覚を抱いてしまいます。
不思議でなりません。
テニスというスポーツを改めて見直してみようと思います。
(じょんのびオープンテニス2009)